『あいつら全員同窓会』とずとまよの話

お久しぶりです。かいんです。

今回はずっと真夜中でいいのに。の話をします。明るくない人もぜひ読んで、さらに言えば曲を聴いて欲しいです。

 

 

ずっと真夜中でいいのに。にハマりました

最近ずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)にハマった。

皆さんはご存じでしょうか。むしろ自分の方が遅れているくらいだと思います。

『秒針をかむ』は明るくない人でも曲名は知っていると思います。ずとまよの曲はリズミカルなメロディーと韻の踏み方が、聴いていて楽しいし心地よいです。

自分としては3rd アルバム沈香学』は特にずとまよの良さが出ているなという感じがします。

古参の方々には「わかってねーな」と思われそうですね。まぁまぁ、一旦落ち着いて椅子に座ってください。

ちなみに沈香は"ジンコウ"と読むらしいです。勉強になりました。

好きな曲いい曲はたくさんあるのですが、ここでは敢えて『あいつら全員同窓会』について取り上げたい。ずとまよに明るくない方にも最も浸透している曲の1つだと思います(新参の自分でも知っていたので)。

 

『あいつら全員同窓会』

知っている方は腕を組みながらうんうんと頷くか、そうじゃないだろ!と罵倒してください。知らない人は一度聴くか歌詞を読んでみるといいかもしれません。

『あいつら全員同窓会』は、「あいつら全員同窓会」という、キャッチーでありながら絶妙に意味をなさないフレーズが繰り返されるのが特徴的です。

ここからは「あいつら全員同窓会」が持つストーリーに関する自分の妄想になります。

ーーーーーー

クラスの中で、集団に属さない主人公が、周りに馴染めないことに悩んでいる。

周りからは「あいついつも一人でいるよな」という陰口が聞こえる。

悩んだ末、「どうせあいつらとはこれからの人生で、同窓会で会うくらいの関係性しかない」と割り切った考えを持つようになる。

ーーーーーー

「あいつら全員同窓会」というフレーズが含むストーリーはこんな感じなのかなと。

少し寂しい考えですが、こういった「割り切り」を肯定してくれる曲だと思います。

 

気に入っているフレーズ

この記事のメインはたぶんここです。

自分が気に入っているフレーズが

「ボーッとして没頭して身勝手な僕でいい」

です。

 

「ボーッとして」「没頭して」とは真逆の意味を示していて、それら2つのフレーズで韻を踏んでいる。曲を聴いているだけだと、「ボーッとして」を2回繰り返しているように聞こえるくらいリズミカルです。

ここに人間のリアルを感じます。

後述にも同じような例を示しますが、何かに「没頭して」いる瞬間って「ボーッとして」いる瞬間でもあって、「ボーッとして」いる瞬間って何かに「没頭して」いる瞬間でもある。

例えば空を流れる雲を目で追いかける。これは雲を目で追うことに没頭している瞬間でもあり、ボーッとしている瞬間でもある。

こういったリアルな、生活に根ざした、ボーッとしているときと没頭しているときの瞬間的でリズミカルな反復がこの歌詞に反映されている。

これらの2語は、意味を反転させながら、韻を踏みながら、繰り返されている。そのことは人間のリアルと直結しています。

 

加えて

 

周りからは「あいついつも1人ボーッとしてよくわからないよな」認定を受けて疎外されてしまっているが、そのことを肯定してくれるような温かみがある。

「ボーッとして」と「没頭して」は真逆のような意味を持っているけど、実際にはそれらの意味合いは表裏一体といえるのではないか。

周りからしたら「ボーッとして」いるように見えても、実は本人は何かの思索に「没頭して」いる可能性がある。

周りの空気に合わせられない自分。そのことに悩む必要はなく、身勝手に生きていい。そんなメッセージとして受け取りました。

 

 

他にも気に入っているフレーズがいくつかあって。

「明くる日も来る日も道草食って帰るが贅沢」

1番Aメロの最後の歌詞です。

「明くる日も来る日も」意味の似た語を重ねつつ韻を踏んでいてリズミカルな歌詞。続いて「道草食って帰るが贅沢」という生活があまり充実していないようなリアルな描写。学校や会社、自宅でも精神的経済的に豊かな生活ではなく、帰り道にどっかに寄るくらいしか楽しみがない。

周囲に馴染めなくて孤独な主人公像みたいなものをここにも感じます。

 

「ステンバイミー 自然体に シャイな空騒ぎ」

「ボーッとして」の部分と同様に、韻を踏みながら、1語1語意味が反転していて、人の相反する感情の反復をリズミカルに描写しているような気がします。

ステンバイミーって、誰かが隣にいることを望んでるんですかね。孤独であることを自身に肯定しつつも、誰かとは繋がりたいような気持ち。

でも自然体にっていうと、それは孤独な自分であって周りに迎合した自分ではないはず。

「繋がり」と「孤独」の反復

周りから浮いていてシャイな自分、それ故に気持ちは盛り上がってないけど、周りに合わせて騒ぐ自分

この感情の反復と、反復の速度感・リズム感がリアルです。

ーーーーーー

クラスメイトに誘われた。1通のメッセージ。「○○くん、一緒に□□に行かない?」

1人で遊ぶ方が気が楽だから気が乗らない。でも行ったら仲良くなれるかもしれない。楽しいかもしれない。その子とのトーク画面を長々と見つめ、返信のメッセージを書く度に消すを繰り返す。

行こうかな、やっぱやめようかな。その反復。

ただ時間だけが過ぎていく。

ーーーーーー

そんな情景が浮かびます(もはや歌詞の内容とはだいぶ違いますが)。

 

韻を踏んだリズミカルな歌詞であり、かつそこには人の相反する感情の反復のリアルさが描かれています。私はそういった部分がずとまよの魅力の1つなのかなと思っています。

 

まとめ

ぶっちゃけずとまよの歌詞はそんな深い意味はないのかなと思っています(物議を醸すひとこと)。嘘です。自分の読解力がどっかいってしまったからです。

 

言い方が悪かった。単語の意味よりも音として気持ちの良い単語を選んでいる印象があります。

だから、聞き流して音として楽しむ、という鑑賞ができます。

 

曲の感想とかを問われると、「歌詞のメッセージはこうこうこうで~」「このMVにはこういう意図があって~」といった言語化が求められる時代だからこそ、音として楽しむ体験は貴重なんじゃないかなと。

以下にその他のオススメ曲を連ねます。

 

音として聴くオススメ曲

・『綺羅キラー』

ホロライブEN所属の森カリオペさんがfeaturingされている曲です。

ホロのオタクではないので贔屓目はないです(ないです)。

「最低なコンプだし 最高の昆布だし」には本記事で触れた、意味の反転と韻が効いていてめちゃくちゃいい歌詞です。

 

・『残機』

TVアニメ『チェンソーマン』のED曲のうちの1つです。

チェンソーマンの原作は最新話まで追っていますが、ジャンプ作品は基本的に好んで読まないし見ないので贔屓目はないです(ないです)。

この曲は何度聞いてもなんて言ってるかわからない部分が多いです。意図的に空耳を誘導しているんじゃないかと思うほどです(真意はわかりませんが、狙ってる部分もあると思っています)。

それでも耳に残るのがすごいところの1つでもあります。

 

 

 

今回の記事は以上になります。いかがだったでしょうか。

私自身1人のアーティストの楽曲について考えを深めるのはあまりない運動だったので、ぎこちなさはあったものの、なかなかよい考察ができたのではないかと思います。

今回は少し前に更新したいな~とツイート(X's)したときに考えていた内容とは全くの別の内容の記事になったので、当初考えていた内容についても近々更新できたらいいですね(ひとごとのような口ぶり)。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

連れて行かれたアイドル現場で感情を取り戻した-透色ドロップ『透色の秋 全国ツアー2022~宮城~』

こんにちは、かいんです。

現場には「ひらて」という名義で参加しました。

アイドル関連記事は初めてですが、どうぞお付き合いください。

 

 

概要

11/5, 11/6に行われた、『透色の秋 全国ツアー2022~宮城~』に行ってきました。

「透色ドロップ」という、アイドルグループのライブツアーです。

 

地下アイドルに明るくない上に、途中までほとんど参戦するつもりはなかったのですが、地元から仙台に来る友人に連れられるがままに、参戦することに......。

 

実は9月に行われた「女子箱」の対バンに付き添いで参加してました。

それを除けば、今回が透色ドロップのライブは初参戦

でしたが......

 

 

楽しすぎだろ......

 

 

ここ数年で失った感情を全て取り戻したような気がする。

俺の脳内で何が起こったのかは、以下に記そう。

 

 

曲が良すぎる

曲が普通に好きだった。

序盤から強い曲に殴られ続ける。

 

 

"クラゲ"が強いんだけど、最近のセトリでは悉く"だけ夏"に取って代わられているらしく、友人が嘆いていた。

 

俺は"だけ夏"の方が好きだが。

 

基本アップテンポの曲が好きだけど、ゆったりした曲も楽しく聴けた。

りちりちアンサーがよかった。どっちも振り付けが好きなんだよね。りちりちの腕前に伸ばすやつと、アンサーの八の字書いて腕を水平にして上下させるやつ。

振りコピもしやすくて楽しかった。

 

桃郷事変も好き。"桃源郷"の"源"が抜けて"桃郷(とうきょう)"、という言葉遊びもなんかいいよね。

 

梅野心春さん最高!梅野心春さん最高!ry

ライブは振りコピできたらもっと楽しいんだろうなぁと思いつつも、梅野心春さんのダンスが上手すぎて目が離せなかった。

聞いたところによると高1からダンス経験があるらしい、どうりで。

 

紫のペンラ振ってたらこっちの方見てくれていた(ような気がしていた)し、そのあとのチェキでも「振ってくれてたよね~」と言質を確認。

 

 

梅野心春、好きだ......

 

 

思えば乃木坂の西野七瀬さんが卒業してから、人間に対してこんなにも心を奪われたことはなかったのではなかろうか。

今はアイドルオタクというよりかはアニメオタクだが、アニメキャラに対してもそういった感情が生まれることはない......ないはず......

 

 

SNSに流れてくる女の子の自撮りは、化粧や加工技術の進歩により大抵の場合、可愛く見える。

その進歩が助長された結果、「可愛い」のインフレが起こったのだ。

もはやSNSにuploadされる女の子の自撮り画像は「可愛い」ことが当然の世界になっている。

 

これは透色ドロップに限らないのだが、そういった事情もあり、透色ドロップの写真を友人に見せられても惹かれることはなかったのだ。

今回も直前まで「そのときの気分で行くかどうか決める」と宣言していたほどだ。(既に友人がチケットを取っていたため強制参加になったのだが)

 

 

しかし、やがて人類(俺)は思い出した。

アイドルはただ「可愛い」だけの存在ではないことを。

彼女らは、"舞台"の上でこそ輝く存在であることを。

 

もちろん、梅野心春さんが可愛いというのは前提ではあるのだが、なによりもそのダンスに惹かれた

まるでブレがなく緩急のある動き。一朝一夕では身につかない動きだと肌で感じさせる。

自分はダンスに造詣があるわけではないが、そんな素人でもわかる。

 

 

梅野心春、かっこよすぎだろ......

 

 

可愛くてかっこいいなんて、最強のアイドルじゃん。

 

 

特典会~R.I.P. 俺~

そして特典会の時間。

ここで完全にK.O.だった。

 

「梅野心春さん、ライブ中のMCが苦手そうな雰囲気だったから、話すのも苦手なのかな~」

 

と思っていた俺はのちに後悔することになる。

チェキなんて初めてだし、その上彼女と話すという状況に緊張しないわけもなく、話題を考えながらもいざ特攻。

 

 

梅野心春、めっちゃ話すじゃん......

 

 

このアイドルはこんなことまでできるのか?

それとも普通のことなのか?初めてだからなにもわからない。

しかし俺が体験したことだけが全てなので、そんなことはどうでもよい。

重要なのは、梅野心春さんが緊張している俺に対して、話しやすい話題を振ってくれたという事実だけなのだ。

 

 

楽しすぎだろ......

 

 

現場の楽しさの8割くらいが特典会でできていると言っても過言ではない。

いや、でもライブも好きなんだよな...。ライブ後に話すのが楽しいんだ...。

 

 

しかも、2日目に「片思いハートをやりたい」といったらノリノリでやってくれた。

全然思ってた印象と違っていい意味で裏切られた

 

 

た、たのしい~~ww

 

 

思わずキモさが滲み出てしまったが、もはやそんなことを気にしている場合ではないのだ。

ほんとうは、梅野心春さんが蛇喰夢子のコスプレをしていたことについても話したかったのだが、片思いハートの話で1分が尽きてしまった。1分短すぎだろ。

 

 

 

 

まぁ、それだけのトークスキルがあるということでもあるのでヨシ。

 

こんな記事を書いていたらまた思い出して笑顔。もうダメだねこの人。

 

 

 

今回の記事はこれにて終わりとします。

 

すっかり透色ドロップ、というか梅野心春さんにハマってしまったような気がする。

 

元々アニメ関連の記事を書いてるブログだから、以降アイドル関連の記事を書くかはわからないけど、次に現場参戦する機会があれば、また書いてみたいと思う。

象徴について考えてみよう-『リコリス・リコイル』10話

久しぶりの投稿になります。

最近まで忙しかったのと、単純にやる気が起きなかったせいです。

夏休み入ってから暇で暇でしょうがないと嘆いていたくらいです。

それでも9月に入ってからは結構予定が入っていて退屈しない夏休みになりそうです。

さて、まえおきはともかく今回は象徴について考えてみよう、という記事を書いていきます。

 

 

前提

象徴とはなんなのか。以後アニメを例示していきますが、アニメに限らず必要な視点だと思いますので、ぜひ参考にしてください。尚、以下の例は私個人の解釈ですので、一意的なものではないし、必ずしも作者が意図したものであるとは限らないことに注意してください。

※「コーヒーが象徴すること」では『リコリス・リコイル』10話、「氷が象徴すること」では『凪のあすから』『ひぐらしのなく頃に 解』の内容を含みますので、見ていない方はブラバするかネタバレ覚悟でご覧になってください。

象徴って何?

longman dictionary englishのsymbolという語の解説を参照すると、symbolはa picture or shape that has a paticular meaning or represents a paticular organization or idea. ということで、つまりは「特定の意味を持つ、あるいは特定の機関やアイディアを表す絵や形」のことです。shapeはもうちょっと広い意味の言葉で訳した方がよさそうですが、とりあえず形としておきます。これだけでは漠然としてるので、わかりやすい例を挙げると

ex) ハトは平和の象徴である。

一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。これ自体は旧約聖書ノアの方舟の話に由来するそうですが、詳しいことは私にはよくわかりません。

ただ、このことは一般的な通念のように思います。したがって、なんらかの作中にハトが出てくれば、それは平和を表現するために用いられている可能性がある、ということです。

つまり象徴というのは、作中でなんらかのモノ(動物や植物、飲み物や食べ物、道具など)を用いることで、その場面での心情の動きやメッセージを表現するもののことです。

 

コーヒーが象徴すること

 

閉店する喫茶リコリコでミカが千束にコーヒーを飲むことを提案する場面
-『リコリス・リコイル』10話より

コーヒーは名残惜しさの象徴になり得ます。上の場面、喫茶リコリコを閉店する夜のこと。千束は「この店ともちゃんとお別れしないとな」「やっぱりさみしいですよ」と喫茶リコリコに対する名残惜しい気持ちを吐露します。それに対し、ミカも「あまり無理をするな」と気遣いながらも「コーヒー淹れるか」ともう少しこの時間を過ごしていたいような気持ちを露わにします。

なぜこのように解釈できるかというと、

コーヒー=朝の眠気覚ましに飲むもの

が一般的な通念のように思います。

コーヒーはカフェインを含んでおり、夜に飲んでしまうと寝付きが悪くなったり眠りが浅くなったりします。基本的に夜に飲むものではないのです。

しかし、ここでは夜にコーヒーを飲もうとしています。

夜にコーヒーを飲む=よふかしをする

ということになります。そしてこれは

よふかしをする=今日という日を長く感じていたい

ということを意味します。(『よふかしのうた』とも繋がってきますね)

 

ということでこの場面。

「夜にコーヒーを飲むという行為をさせることで、喫茶リコリコが閉店してしまうその日を、もう少し長く感じていたいという、ミカと千束の心情を表現している」

ことになります。蛇足になりますが、少し注目して欲しいのは、

この場面のあとで実際にコーヒーを飲んでるシーンはない、ということです。つまり、リコリコが喫茶店であることと、ミカと千束の名残惜しさを表現することを考慮した上で、脚本家が付け加えた表現であるということです。脚本天才だろ......。

 

氷が象徴すること

ぬくみ雪で氷河に覆われた海(汐鹿生)-『凪のあすから』14話より

氷は停滞していたものが進展することの象徴変化することの象徴になります。『凪のあすから』ではぬくみ雪で汐鹿生が凍りつくことで、汐鹿生の時間も停滞します。

 

見てない方のために説明すると、『凪のあすから』では汐鹿生という海の中の村と、鴛大師という地上の村があり、その2つの不和の物語が展開されます。汐鹿生出身の男の子2人(ヒカリ、カナメ)と女の子2人(チサキ、マナカ)にスポットを当てて物語が進行します。13話から14話にかけて海が凍り、そのために汐鹿生出身の人は冬眠しなければなくなります。しかし、4人のうちチサキだけはいろいろあって地上に取り残されます。その5年後、冬眠を終えた3人が順に地上へ出てくるのですが、その3人は5年前のまま心身の成長が止まっていたのです。

 

汐鹿生の時間が停滞するというのはそういう意味で、ヒカリとカナメ、マナカの時間軸は5年前のままになっていました。

氷=固体=流動性がない=凍結、停滞

ということです。一方で、氷は温度が上昇すれば解けます

氷河が解け始めた海(汐鹿生)-『凪のあすから』26話より

14話の画像と比較すれば一目瞭然ですが、氷河はほとんど解けています。これは汐鹿生の凍結していた時間が、動き始めたことの象徴です。実際、身の回りの環境が一気に変化して戸惑いを隠せなかったヒカリたちも、その変化を受け入れ始めており、氷の解け具合と主人公たちの心情の変化がパラレルに進行しています。

氷=解けて液体になる=流動性を獲得=変化、止まっていたものが進み始める

ということです。

 

「「「少し氷河残ってるじゃねーか!!!!!」」」というツッコミがありそうですが、これはこの作品の「変化するものもあるし、変化しないものもあって、どちらもいいんだ」という結論と一致しています。氷河が解けた部分は変化を表し、氷河の残った部分は不変を表す部分です。そういうわけで、海はいろんな思いが全てが溶け込んでいるという、話の中核に繋がっていきます。

 

 

地面の氷を梨花が拾う-『ひぐらしのなく頃に 解』opより

先ほどと同様に氷が用いられているのが『ひぐらしのなく頃に 解』です。他にも探せば無数にあると思いますが、最近見て気になったのでひぐらしを採用させていただきます。

-------ここから大ネタバレなので特に注意してください-------

 

 

 

 

ひぐらし解の「皆殺し編」その壱で古手梨花昭和58年6月を何度も繰り返してきたことが明かされます。古手梨花はおよそ100年間に渡り惨劇を回避できぬまま繰り返すわけですが、この氷は、まさにこの停止した時間を象徴していることがわかります。

一方で、氷はやはり解けて流動性を獲得します。つまり、いずれこの停止した時間が動き出すことも同時に象徴しています。

実際、ひぐらし解の「祭囃し編」は最終的に大団円の結末を迎え、100年間におよぶループから抜け出すことに成功するのです。

ここでも、氷が「停滞していたものが進展することの象徴」として働いていることがわかります。

 

 

今回の記事は以上です。いかがでしたでしょうか。

アニメの中で用いられているモノは、小道具とも言われるのですが、そういったものが象徴することは何か?ということを考えてみると、よりアニメを楽しむことができるようになるかもしれません。みなさんもぜひ考えてみることをオススメします。

またなにか面白いものが見つかれば記事にしたいと思います。それでは。

 

今回用いた画像は

リコリス・リコイル』Spider lily/アニプレックス

凪のあすから凪のあすから製作委員会

ひぐらしのなく頃に 解』ひぐらしのなく頃に解製作委員会

から引用しました。

理論に裏打ちされた最強のギャグ-『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』1話

ステータスパラメータをギャグに振りすぎたラブコメこと、かぐや様は告らせたい3期がやって参りました。

 

自分は同じアニメを何度も見るということはあまりしません。

 

よほど好きでない限りしませんし、垂れ流せるくらいの内容のものに限られます。

 

ただ、かぐや様は1期も2期も、何度も見返しました。

 

何度見ても笑えますし、軽い気持ちで見られるんですよね。

 

そのため、自分としては待望の3期だったというわけです。

 

前置きはこれくらいにして、本題に入っていきます

 

前座

メタ構造→メタいギャグ

まずメタいギャグを成立させるための導入です。

自分はメタ構造のお話が大好きなのですが、かぐや様は存分にその要素を見せつけてくれます。

 

冒頭、いきなり藤原がみかんの皮を剥き始めます。

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みかんの皮を向く藤原

心の準備が出来なかった視聴者は頭をバグらせながらも徐々に

「あぁ。これは生徒会メンバーの日常場面の一部だな。」

と認識するわけです。ところが

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みかんの皮に含まれる成分(リモネン)により爆発した風船が校舎を吹き飛ばす

なぜかリモネンが近くにあった風船を溶かして大爆発。

「爆発オチなんてサイテー!」

とはよく言われるものの、冒頭でいきなり爆発させるとはなんて掟破りな。

もうわけがわかりません。

 

しかし、この一連の流れによって、この作品は視聴者の存在を意識してつくられたことが、視聴者にとっても明白になります。

この前座は

「生徒会メンバーたちの世界に入り込んで楽しむのではなくて、視聴者は視聴者自身の立場で、つまり生徒会メンバーのいる世界とは違う階層に存在する世界及び人間の立場で、楽しんでください」

というメッセージになっているということです。

 

どういうことかわからなければ、

「これはあくまでフィクションだよ。アニメの中の話だよ。だから物理現象とかも無視するよ。どんな非現実的なことだって起こるよ。」

という注意書きみたいなものだと思ってください。

 

そして実際に、前座の最後では

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空から降ってくる校舎

なぜか校舎が降ってきます。こんなこと起こりえませんね?でもいいんです。フィクションだよって、言ったのだから。

 

この校舎もジオラマみたいな感じになってて、明らかにメタ構造みたいなものは意識されていると思いますね。

 

そしてこの前座があったから、どんだけ意味のわからないことが起きても、冷めることなく作品を楽しめるというわけです。

(まぁ、もとよりギャグアニメだし、そんなことは考えないか。)

 

 

 

「伊井野ミコは癒されたい」

伊井野ミコはヒーリングミュージックを聴きながら勉強するそうです。

僕もよくASMRを聴きながら勉強します。一緒だね^^

癒やし曲その2は工事現場の音かと思いきやラクダの鳴き声

ここまでも面白い要素はいくつかあったのですが...

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平然と生徒会室に居座るラク

またメタ構造が飛び出してきました。

後ろに平然とラクダがいるんですよね。

「気づかないのか?w」

と思うけど、これは僕らにしか見えてないのです。

このあと石上の後ろにもラクダが出てくる。石上なら気づくか...?ってなるけどもちろん気づきません、w

背景効果

その後、石上は伊井野にイヤホンジャックが抜けてることを指摘しようとするものの、指摘したらしたでめんどくさそうという。まぁそうだよね。

「聞かなかったことにして!」

つって記憶消えるまで殴り続けるんじゃないかな。

 

そんな中の一場面。

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LINEスタンプみたいなやつと謎の背景

この謎の背景、度々登場するんですけど、これ自体になにか面白くする要素みたいなものはなさそう。

ただ、こういったカットを挟むことによってテンポ感がよくなっている気がします。伊井野と石上のいる空間の映像を流し続けても、間延びしちゃいますし。

 

あと、これLINEスタンプっぽいよね。たぶん意識していると思うんですけど、こういった要素を入れることによって、極限まで「退屈さ」を潰しているような気がします。

笑いとシリアスのギャップ

伊井野にイヤホンジャックが外れていることを直接伝えることはできず、石上自ら身を削ることになります。石上のこういうキャラクター性も魅力的ですよね。

石上が流す曲はいかにもな電波曲で、ひたすら

「萌え萌えキュンキュン」

と言い続ける曲。これは確かに聞かれたら恥ずかしい。

 

その場面での1カット。

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オタクソングがバックで流れる中かっこよく窓際に立つ石上

バックでひたすら

「萌え萌えキュンキュン♪」

と流れる中、窓際に向かって独白を続ける石上

このギャップを作り出すのも面白い要素。

なにやってんだよ石上。

 

結局伊井野が聴いてた梅原ボイスは公になる。

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結局恥ずかしい癒やし曲()が漏れてしまったときのミコ

梅原裕一郎さん、俺も大好きなんだよね。わかる。

男でも聴いてるとゾクゾクしてくるからね。

 

最後は何事もなかったかのように帰る生徒会メンバー。

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石上以外は何事もなかったかのように帰宅

なんで伊井野は平然としてられるんだろうね。何もかも忘れ去ったのかな。

 

一方、なぜか一番落ち込んでる石上。

このギャップよ。

電波ソング聴いてるのがバレたの、やっぱショックだったか。

「かぐや様は気づかない」

かぐや様がこの前、スマホデビューしました。

そこからLINEデビューする話。

 

スマホとかのパンフレット見てピョンピョンしちゃう早坂

わかるよその気持ち。俺もそういうの大好き。スペック比較したり、アンドロイド機種によくある「こんなん使わないでしょw」みたいな機能とかワクワクしちゃうよね。一緒だね^^

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ぴょんぴょん早坂。可愛いね。GIFにしたい。
身近な話題をネタにする

話題の中心は「既読」

誰もが一度は既読云々の会話をしたことがあるんじゃないかな。

こういった身近な話題をネタにするのがほんとうに上手いと思います。

身近な話題だと、そこからどういう話をするのか、ある程度わかりますよね。

あまり細かい説明しなくても、前提知識みたいなものが共有されてるから話を展開させやすいってのはあるよね。

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既読という視聴者の中でも共有されているネタ

ただその一方で、身近な話題をネタにして面白くするのは難しいと思います。

あまりにありふれていて、どういう話に展開させても想定内だったり、「あぁその話ね」とマンネリ感が出てしまったりする。

 

でも結果としてはめちゃくちゃ面白かったからね。

こういった話題を調理するのがほんとに上手いと思う。

不意打ち

既読を知らないかぐやに対して、既読を知ってる白銀

「あれ、かぐや。俺のメッセージが来るのがそんなに嬉しいのか?」

と思い込むいかにもなやつ

 

その心理戦の最中、あまりに自然に、かつ不自然に溶け込む白銀圭(可愛いね)。

この深刻な白銀に対してこの圭のギャップがまず面白い要素ではあるのですが...

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深刻に悩む白銀の横で何事もなく日常を過ごす圭

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深刻に悩む白銀の横でストレッチをする圭

白銀が悩んでいる間、話すこともナレーションで触れられることもなく、日常的な背景に圭が溶け込んでいる。しかもこの場面が2回繰り返される

すると流石に視聴者も

「あぁ。圭はなんかいるけど、なにもしないんかい!というネタだな」

と認識して一旦は無視してしまいます。

 

しかし、そののち

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トーク画面を開きっぱなしにしていたかぐやは3回連続即既読をつけていたことが判明。

「青ざめる早坂!」「混乱する白銀!」「伸びをするかぐや!」

とここまではまぁ想定内だが

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予想外に出てくる圭

「ストレッチをする圭!」

いや、ここで出るんかーい!wwww

と思わずツッコミをしてしまいましたが、このスピード感、テンポ感で圭を出されると、瞬時に脳内で先ほどまでの白銀圭(日常モード)と結びついて、もう反射的に笑わざるを得ないという。

 

あまりに精巧につくられてますよ、このアニメは。

「藤原千花は闘いたい」

たいして重くない荷物をなかなか運べない石上。

それに対して、軽々と運ぶ藤原。

「それでも男の子ですか?」

と藤原が言うと...

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そういうの"性差別"っていうんですよ

石上なら言うと思ってた。

大げさな演出

先ほどまでに述べた要素がここでもふんだんに出ていますね。

「全生徒会」というワード自体大げさ(だって、たかが数人ですよ?)だし。

そのために飛行機飛ばして横断幕を引っ張るなんてこともしないでしょう?

(かぐや家ならできそうだけども)

その辺はやはりメタ要素を感じますよね。

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ときどき見せてくるメタ構造

視聴者にしか見えていないこの横断幕。

"腕相撲"で、しかも"生徒会内"で、行うだけの大会にこういった大げさな演出を盛り込むのはお得意の手法です。

 

また、このepの話題は「腕相撲」

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誰でもわかる、腕相撲

先の「既読」よりも行き渡った概念なのではないでしょうか。誰でもやったことがあるでしょう。腕相撲。

 

それなのに、面白いんですよね。ほんとすごい。

手のひら返し

腕相撲でトーナメント戦を行うことに。

石上はかぐやと当たるのですが、そのときのひとこと。

「まぁ男ですから?それくらいハンデがないとお話にならないですよ(笑)」

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息をするように"性差別"発言をする石上

さっきの発言はなんだったんだ?w

人の"性差別"発言を指摘するくせに、息をするように"性差別"発言を繰り返す。

 

この前にも

「そうはいっても僕は男ですから。女の藤原先輩より筋肉ありますよ。」

とか

「さすがに女、子供に負けるほどヤワじゃありません」

とか

怒濤の"性差別"発言ラッシュ。

(ここで用いた"性差別"という単語については全て石上がいうところの意味で用いています。)

 

この手のひらクルクル感が面白いですよね。

メリハリ

石上vsかぐや戦

どう見ても石上の即オチ2コマ展開ではあるのだが、それには留まらない。

それだけでも面白いんだけどね。

 

まるで動かないかぐやの腕のくだりの間の空け方がほんと上手い

勢いの殺し方っていうのかな。

「石上が瞬殺しようとしたら、逆にかぐやが石上を瞬殺」の流れかと思いきや、一旦ここで流れを止めるんだねw

何も挟まないでかぐやが瞬殺する展開でも面白かったとは思うけど、ここで一旦止めることでメリハリつくよね

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まるで動かないかぐや

石上だけ平行移動していくのも面白いよね。

かぐやの動かない感が誇張して伝わるから、一旦カットを止めてはいるのに、笑いの流れは止まってないような気がする。

挿入歌

あまりのかぐやの動かなさを

「岩、?」

と心の中で呟く石上も面白いのだが、この場面、バックでWe Will Rock Youが流れている。

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岩のようにびくともしないかぐやのバックで流れる『We Will Rock You

RockはそっちのRockじゃないだろというのはあるんですけど、岩という単語が出てきてこの曲流れたらもう笑うしかないだろと、w

リフレイン

腕相撲大会は2回戦へ。

白銀vs藤原。

予想に反し、接戦を繰り広げるが...

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いつだかの姑息藤原再登場

持つ手の位置によって、有利不利が出るらしく、それを指摘された藤原はいつだかの姑息藤原を想起させる(『かぐや様は告らせたい』9話「藤原千花は見舞いたい」参照)。

リフレインというのは繰り返しのことで、ただそれっぽく使ってるだけなのですが、要は天丼ネタです。

忘れた頃にこれを出すもんだから、直感的に過去の笑った記憶に結びついて、まぁ反射的に笑ってしまうよね。

 

そしてこれはこの直後にも出てきます。

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息をするようにズルをする藤原

この謎カットね。(たぶんラジオ体操パロ)

これだけ見れば息をするようにズルをする藤原を、そのまま描いたに過ぎないのですが。

この絵面、さっきも見たよな?と、気づくと思います。

 

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息をするように嘘をつく早坂

2つ目のep「かぐや様は気づかない」で全く同じ構図の早坂ver.がありました。

 

息をするようにズルをする藤原が出てきたときにこれが想起されるから直感的に面白く感じるっていう、w

 

そう考えると、この姑息藤原の辺りのギャグって相当たたみかけているよなと、w

実際のところ、笑いが止まらんかったですわ。

 

語りたかった面白いポイントは以上です。このあとも面白かったけどね。白銀がかぐやにぶっ倒されるとことか、筋肉姫とマッチョタワーのくだりとか。ぶっとんでて最高。

 

1話でこの密度って頭おかしいよ。こんだけ書いたけど、これでも全体の半分くらいしか面白いポイント抑えてないと思う。

結構テンポに依存しているところもあって、なかなか文章にしづらいっていうのもあるし。

 

長くなってしまいましたが、以上になります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

(なお、画像は全て、かぐや様は告らせたい製作委員会から引用しています。)

僕らは蠟梅学園中等部1年3組-『明日ちゃんのセーラー服』

『明日ちゃんのセーラー服』、終わりましたね

 

非常によかったと思います

6話時点では60から79点くらいの感覚だと、言いました(たぶん)

その評価は変わらずなのですが

確実に2022冬のクールを盛り上げてくれた作品のうちの1つなのではないかと思います

毎週楽しみにしていましたし、Twitterでの感想やブログの感想でも取り扱うことが多かったです

いろいろと面白いなと思わせてくれる要素がありました

 

 

さて、今回なのですが、タイトルの通りです

なにが言いたいかというと、見てる僕らが明日ちゃんたちのクラスメイトだということです

 

 

......。

 

 

みなさんがブラバしないうちに続きを書いていきます

 

このアニメでは、明日ちゃんが常に全力で学校生活を過ごし、クラスメイトの輪をつないでいますよね

 

これは彼女の魅力で、僕らを魅了する要素の1つなのだと思いますが

 

"ちょっと、めんどくさいな"って、思うこともあるのではないでしょうか

 

 

どんなクラスにも1人はいるでしょう、行事に全力で、いろんな人に話しかける

 

一方でそうじゃない人もいるはずで、行事に消極的他者との関わりをあまり好まない人もいると思います

(自分もこちら側です)

 

 

自分は思っちゃうんですね

もし明日小路と同じクラスだったら、かましい!って

 

でも、このアニメ

そういった人がまるで存在してないんですよね

 

みんなが明日ちゃんの味方というか、というか

明日ちゃんが行事に全力ならみんな全力で、明日ちゃんが友だちになるならみんな友だちになる、みたいな

 

なんか、自分としては不自然さを感じてしまうんですね

 

普通に、「やさしい世界だね」で終わらせてもいいんですけど

敢えてここに着目して、この作品からの何らかのメッセージを抽出できないかと思いまして

 

 

そこで考えたのが、そのいわば"明日ちゃんの敵"が僕らだと捉えてみよう、ということです

 

「クラスの活動に消極的で、人とあまり関わらない自分」をこのクラスに投影してみましょう

 

このとき、明日ちゃんは自分の目にどう映って、自分にどういった働きかけをするのか

ということを考えてみます

 

入学した当初は

「こいつ、なんか目立ってんな」とか「調子乗ってるな」とか

感じること、あると思うんですよね

 

ところが、僕らが12話を通して見たように、しばらく彼女を見ていると

 

「全力な人って、こんなに輝いて見えるんだ!」

 

とか

 

「こんな自分にも、個性を見出してくれるんだ!」

 

と思わされることがあるのではないでしょうか

 

 

アニメ『明日ちゃんのセーラー服』では各話ごとに明日ちゃんが各キャラにスポットライトを当てていくように進行していきました

この流れの中に、アニメを見ているあなたにスポットの当たる回があって、そこで自分を見つけ出してくれるわけです

少し前向きになれるような気がしませんか?

 

そして終盤は体育祭が数話に渡って行われました

応援にも競技にも全力な彼女に、消極的だったあんたも、自分も全力で!と思わされることがあったのではないでしょうか

あらゆることに通ずると思うのですが、全力であることそれ自体に価値は生まれると思うんですよね

彼女はそれを体現していたかのように思います

 

 

このように、自分を明日ちゃんのクラスメイトとして投影すると

「全力であることの価値」

「自分の中に眠る個性」

を教えてくれる

 

『明日ちゃんのセーラー服』は、そんなメッセージを含んだアニメに見えてくるんじゃないかなと思います

 

 

 

今回の記事は、自分の受け取り方に強く依存するような記事になってしまいましたが

 

こういう受け取り方もあるんだな、アリなんだな

 

そう思ってくだされば、書いた意味もあったかと思います

 

 

以上となります、今クールまとめの記事も書ければいいな

君には君のセーラー服-『明日ちゃんのセーラー服』~8話

『明日ちゃんのセーラー服』、面白いですね

序盤は1つ1つのカットにこだわりを感じて、そこに面白さを見出していたのですが、途中からキャラ性に注目してました

 

本編は現在8話まで公開されており、終盤にさしかかろうとしています

ここで考えたいのが、

 

「結局、"明日ちゃんのセーラー服"ってどういうことなんだろう」ってことです

 

"明日ちゃんの"であれば明日ちゃんをひたすら掘り下げる話になっていくはずなんですが、実際には明日ちゃんを中心にいろんなキャラクターを掘り下げていくという展開になっています

この一連の流れで、結果的に明日ちゃんというキャラクターを掘り下げることにはなっているのですが、基本的に各話の中心は明日ちゃんとは別の、特定のキャラクターです

 

だとすればこのセーラー服というのは、単に明日小路を象徴する記号としてだけでなく、

 

どのキャラクターもそれぞれの"セーラー服"を着ている

 

という意味合いを含むものなのではないでしょうか

 

 

 

??????????????

 

 

いや、あの

 

簡単に言ってしまえば

 

それぞれ個性があるよね

 

というだけなんですが

 

精密に言うと

 

表出しないだけで、みんなそれぞれ内面に多様な個性を抱えている

 

ことの象徴なのではないかと、思うわけです

 

ブレザーの中に1人だけセーラー服って、確かにパッと見で目立つし、明日ちゃんは特にハイスペックで主人公なだけあって、周りとの区別という意味で、わかりやすく強烈な"セーラー服"という記号付けがなされているのですが

 

それを見せたい作品ではないよなぁと

 

見せたいのはいろんなキャラクターの内面性であって、

 

みんなブレザーで同じように見えるけど、実際は全然違います

 

 

成績優秀な谷川さんもいれば

真面目でリーダー的存在の龍守さんもいるし、

ムードメーカーの兎原さんだっている

 

画一的な制服というのは、通常、没個性の意味合いが強いと思うのですが、

この作品では、明日ちゃんという1人の人物を異なる制服によって記号づけることで、

本来没個性になりうる画一的な制服(ブレザー)を身につけたキャラクターの個性を対比的に浮かび上がらせているように思います

 

明日ちゃんという1人強烈に記号付けられた主人公が、その他のキャラクターの内面をより際立たせているということです

 

 

表に見える強烈な個性を持った明日ちゃんの"セーラー服"はしばしば憧れの対象になるけど、

 

それぞれ自分の"セーラー服"を着てるんだからいいじゃん

どの"セーラー服"だって魅力的だよね

 

という主張を含んだ作品になっているのではないでしょうか

 

 

8話で顕著だったのは水上りりが、セーラー服とブレザーを交換してくれ、といった趣旨の発言をすることがありました

 

前述の通り、明日ちゃんのセーラー服には明日ちゃんの個性を象徴する意味合いがあります

それを交換する、ということはその個性(カリスマ性)を剥ぎ取る行為と同義なわけです

(水上さん本人にその意図があったかは不明ですが)

明日ちゃんとの水泳対決で勝利することで、明日ちゃんのカリスマ性みたいなものが剥ぎ取られます

実際、木崎さんや龍守さんに泳ぎが得意だともてはやされる明日ちゃんが負けてしまえば、明日ちゃんではなく「水上さん、泳ぐの速いね」と言うように変化していくことも考えられます

 

 

しかし対戦ののち、制服の交換をすることはなく、自分の"セーラー服"に落ち着いたんじゃないかなと

水上りりは水泳に対して誠実であり、ライバルと本気で戦えることに喜びを感じられる人間で、それは彼女だけの"セーラー服"です

(そしてテストの成績は悪い)

 

また、Cパートで妹の花緒が明日ちゃんの冬服を着るシーンがありました

お姉ちゃんみたいにかっこよくなれない、というセリフにもあったとおり、やはり彼女のセーラー服には彼女の個性に由来するカリスマ性や憧れの対象といった記号が付与されていることがわかります

しかし、それに対し小路が「今は...」とリボンだけ花緒につけます

今の花緒には今の花緒が身につけているべき"セーラー服"があったというわけです

 

 

今回は以上です

いつもより文章の詰めが甘いので、各人で補完してください

人形づくりが主役でしょ-『その着せ替え人形は恋をする』7話

7話を見て書きたいことがあったのでブログにしたいと思います

 

 

直近の何話かを見ていて思ったことがあって

 

それは「この作品のメインはコスプレなのか?」

ということです

 

1話や4話、6話では人形について触れる場面もありましたが、6話までだと主軸はコスプレという感じがします

 

それはそれで、まさに王道ラブコメ!!って感じで面白いのですが

 

個人的には、人形ファーストであって欲しいとも思うわけです

 

というのも、五条は言ってしまえば"人形バカ"じゃないですか

 

"人形バカ"である五条が主人公の物語なのだから、そっちの軸を大事にしてほしいんですよね

 

特に直近の数話はコスプレ要素が多くて、やや物足りなさを感じてました

 

しかし今回の7話序盤で、「この作品の軸は人形づくりである」と感じさせる場面がありました

 

五条がおじいちゃんと会話するシーンがありましたね

 

最近はコスプレのことばかりで人形づくりに時間をかけられなかった五条が、人形をおじいちゃんに見てもらうところです

 

五条自身、その出来に自信を持てていなかったのですが

 

結果は「前よりよくなったなぁ~」

 

というのも、おじいちゃんによれば以前よりも線が柔らかくなっていたということで

 

コスプレでの経験が人形づくりに生かされたんですね

 

もしかしたらコスプレ衣装をつくったり、海夢に化粧をしたりする間に手先が柔らかくなって、より複雑な動きにも対応できるようになっていたのかもしれません

 

そしてその後のおじいちゃんのセリフ

「将来、いい人形つくりてぇなら、人形だけを見てちゃあダメだぞ~」

「いろんなもの見とけよ~。いつか必ず身になるからな」

 

この場面の一連のやりとりが

あくまで人形づくりが本命で、コスプレはそれを支える役回りだよ

という主張になっています

 

今や人形づくりから外れてコスプレがメインになっていますが、

 

物語としてはやはり人形づくりが一番で、それに至る段階でのコスプレを通じた経験や海夢・寿叶との関わりが最終的に人形に生きてくるという考えが根底にあるんですね

 

そうでないと、この場面でこういうセリフは出てこないはずです

 

だから今回の7話は、「人形づくり要素が置いてけぼりになっているな」と感じていた自分にとっては、「なるほど、人形作りが主軸でそれを支えるコスプレという位置づけの作品なんだな」とすごく納得のいく話でしたね

 

ここのおじいちゃんのセリフもいいんですよね

 

様々な経験がいつかどこかの場面で生きてくることがある、という

 

よく言われる話ではありますが、不思議と説得力がありますよね

 

でもそれもそのはずで

 

五条にとっておじいちゃんは

人形づくりの師

であり、

人生の大先輩

でもあるわけですよ

 

そんな人からのこのアドバイスですからね、刺さらないわけがないんですね

 

五条の人形づくりに対する姿勢には共感を覚えるところもあったので、このセリフは自分にもかなり刺さりました

 

人形づくりをする人に留まらない、一般的なメッセージをも含んだ作品として非常に面白くなってきたと思います

 

以降のお話も楽しみです

 

ほんとはギャグパートのお話もしたかったのですが、思ったより長くなってしまったのでここで切り上げたいと思います