象徴について考えてみよう-『リコリス・リコイル』10話

久しぶりの投稿になります。

最近まで忙しかったのと、単純にやる気が起きなかったせいです。

夏休み入ってから暇で暇でしょうがないと嘆いていたくらいです。

それでも9月に入ってからは結構予定が入っていて退屈しない夏休みになりそうです。

さて、まえおきはともかく今回は象徴について考えてみよう、という記事を書いていきます。

 

 

前提

象徴とはなんなのか。以後アニメを例示していきますが、アニメに限らず必要な視点だと思いますので、ぜひ参考にしてください。尚、以下の例は私個人の解釈ですので、一意的なものではないし、必ずしも作者が意図したものであるとは限らないことに注意してください。

※「コーヒーが象徴すること」では『リコリス・リコイル』10話、「氷が象徴すること」では『凪のあすから』『ひぐらしのなく頃に 解』の内容を含みますので、見ていない方はブラバするかネタバレ覚悟でご覧になってください。

象徴って何?

longman dictionary englishのsymbolという語の解説を参照すると、symbolはa picture or shape that has a paticular meaning or represents a paticular organization or idea. ということで、つまりは「特定の意味を持つ、あるいは特定の機関やアイディアを表す絵や形」のことです。shapeはもうちょっと広い意味の言葉で訳した方がよさそうですが、とりあえず形としておきます。これだけでは漠然としてるので、わかりやすい例を挙げると

ex) ハトは平和の象徴である。

一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。これ自体は旧約聖書ノアの方舟の話に由来するそうですが、詳しいことは私にはよくわかりません。

ただ、このことは一般的な通念のように思います。したがって、なんらかの作中にハトが出てくれば、それは平和を表現するために用いられている可能性がある、ということです。

つまり象徴というのは、作中でなんらかのモノ(動物や植物、飲み物や食べ物、道具など)を用いることで、その場面での心情の動きやメッセージを表現するもののことです。

 

コーヒーが象徴すること

 

閉店する喫茶リコリコでミカが千束にコーヒーを飲むことを提案する場面
-『リコリス・リコイル』10話より

コーヒーは名残惜しさの象徴になり得ます。上の場面、喫茶リコリコを閉店する夜のこと。千束は「この店ともちゃんとお別れしないとな」「やっぱりさみしいですよ」と喫茶リコリコに対する名残惜しい気持ちを吐露します。それに対し、ミカも「あまり無理をするな」と気遣いながらも「コーヒー淹れるか」ともう少しこの時間を過ごしていたいような気持ちを露わにします。

なぜこのように解釈できるかというと、

コーヒー=朝の眠気覚ましに飲むもの

が一般的な通念のように思います。

コーヒーはカフェインを含んでおり、夜に飲んでしまうと寝付きが悪くなったり眠りが浅くなったりします。基本的に夜に飲むものではないのです。

しかし、ここでは夜にコーヒーを飲もうとしています。

夜にコーヒーを飲む=よふかしをする

ということになります。そしてこれは

よふかしをする=今日という日を長く感じていたい

ということを意味します。(『よふかしのうた』とも繋がってきますね)

 

ということでこの場面。

「夜にコーヒーを飲むという行為をさせることで、喫茶リコリコが閉店してしまうその日を、もう少し長く感じていたいという、ミカと千束の心情を表現している」

ことになります。蛇足になりますが、少し注目して欲しいのは、

この場面のあとで実際にコーヒーを飲んでるシーンはない、ということです。つまり、リコリコが喫茶店であることと、ミカと千束の名残惜しさを表現することを考慮した上で、脚本家が付け加えた表現であるということです。脚本天才だろ......。

 

氷が象徴すること

ぬくみ雪で氷河に覆われた海(汐鹿生)-『凪のあすから』14話より

氷は停滞していたものが進展することの象徴変化することの象徴になります。『凪のあすから』ではぬくみ雪で汐鹿生が凍りつくことで、汐鹿生の時間も停滞します。

 

見てない方のために説明すると、『凪のあすから』では汐鹿生という海の中の村と、鴛大師という地上の村があり、その2つの不和の物語が展開されます。汐鹿生出身の男の子2人(ヒカリ、カナメ)と女の子2人(チサキ、マナカ)にスポットを当てて物語が進行します。13話から14話にかけて海が凍り、そのために汐鹿生出身の人は冬眠しなければなくなります。しかし、4人のうちチサキだけはいろいろあって地上に取り残されます。その5年後、冬眠を終えた3人が順に地上へ出てくるのですが、その3人は5年前のまま心身の成長が止まっていたのです。

 

汐鹿生の時間が停滞するというのはそういう意味で、ヒカリとカナメ、マナカの時間軸は5年前のままになっていました。

氷=固体=流動性がない=凍結、停滞

ということです。一方で、氷は温度が上昇すれば解けます

氷河が解け始めた海(汐鹿生)-『凪のあすから』26話より

14話の画像と比較すれば一目瞭然ですが、氷河はほとんど解けています。これは汐鹿生の凍結していた時間が、動き始めたことの象徴です。実際、身の回りの環境が一気に変化して戸惑いを隠せなかったヒカリたちも、その変化を受け入れ始めており、氷の解け具合と主人公たちの心情の変化がパラレルに進行しています。

氷=解けて液体になる=流動性を獲得=変化、止まっていたものが進み始める

ということです。

 

「「「少し氷河残ってるじゃねーか!!!!!」」」というツッコミがありそうですが、これはこの作品の「変化するものもあるし、変化しないものもあって、どちらもいいんだ」という結論と一致しています。氷河が解けた部分は変化を表し、氷河の残った部分は不変を表す部分です。そういうわけで、海はいろんな思いが全てが溶け込んでいるという、話の中核に繋がっていきます。

 

 

地面の氷を梨花が拾う-『ひぐらしのなく頃に 解』opより

先ほどと同様に氷が用いられているのが『ひぐらしのなく頃に 解』です。他にも探せば無数にあると思いますが、最近見て気になったのでひぐらしを採用させていただきます。

-------ここから大ネタバレなので特に注意してください-------

 

 

 

 

ひぐらし解の「皆殺し編」その壱で古手梨花昭和58年6月を何度も繰り返してきたことが明かされます。古手梨花はおよそ100年間に渡り惨劇を回避できぬまま繰り返すわけですが、この氷は、まさにこの停止した時間を象徴していることがわかります。

一方で、氷はやはり解けて流動性を獲得します。つまり、いずれこの停止した時間が動き出すことも同時に象徴しています。

実際、ひぐらし解の「祭囃し編」は最終的に大団円の結末を迎え、100年間におよぶループから抜け出すことに成功するのです。

ここでも、氷が「停滞していたものが進展することの象徴」として働いていることがわかります。

 

 

今回の記事は以上です。いかがでしたでしょうか。

アニメの中で用いられているモノは、小道具とも言われるのですが、そういったものが象徴することは何か?ということを考えてみると、よりアニメを楽しむことができるようになるかもしれません。みなさんもぜひ考えてみることをオススメします。

またなにか面白いものが見つかれば記事にしたいと思います。それでは。

 

今回用いた画像は

リコリス・リコイル』Spider lily/アニプレックス

凪のあすから凪のあすから製作委員会

ひぐらしのなく頃に 解』ひぐらしのなく頃に解製作委員会

から引用しました。