お久しぶりです。かいんです。
今回はずっと真夜中でいいのに。の話をします。明るくない人もぜひ読んで、さらに言えば曲を聴いて欲しいです。
ずっと真夜中でいいのに。にハマりました
最近ずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)にハマった。
皆さんはご存じでしょうか。むしろ自分の方が遅れているくらいだと思います。
『秒針をかむ』は明るくない人でも曲名は知っていると思います。ずとまよの曲はリズミカルなメロディーと韻の踏み方が、聴いていて楽しいし心地よいです。
自分としては3rd アルバム『沈香学』は特にずとまよの良さが出ているなという感じがします。
古参の方々には「わかってねーな」と思われそうですね。まぁまぁ、一旦落ち着いて椅子に座ってください。
ちなみに沈香は"ジンコウ"と読むらしいです。勉強になりました。
好きな曲いい曲はたくさんあるのですが、ここでは敢えて『あいつら全員同窓会』について取り上げたい。ずとまよに明るくない方にも最も浸透している曲の1つだと思います(新参の自分でも知っていたので)。
『あいつら全員同窓会』
知っている方は腕を組みながらうんうんと頷くか、そうじゃないだろ!と罵倒してください。知らない人は一度聴くか歌詞を読んでみるといいかもしれません。
『あいつら全員同窓会』は、「あいつら全員同窓会」という、キャッチーでありながら絶妙に意味をなさないフレーズが繰り返されるのが特徴的です。
ここからは「あいつら全員同窓会」が持つストーリーに関する自分の妄想になります。
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クラスの中で、集団に属さない主人公が、周りに馴染めないことに悩んでいる。
周りからは「あいついつも一人でいるよな」という陰口が聞こえる。
悩んだ末、「どうせあいつらとはこれからの人生で、同窓会で会うくらいの関係性しかない」と割り切った考えを持つようになる。
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「あいつら全員同窓会」というフレーズが含むストーリーはこんな感じなのかなと。
少し寂しい考えですが、こういった「割り切り」を肯定してくれる曲だと思います。
気に入っているフレーズ
この記事のメインはたぶんここです。
自分が気に入っているフレーズが
「ボーッとして没頭して身勝手な僕でいい」
です。
「ボーッとして」と「没頭して」とは真逆の意味を示していて、それら2つのフレーズで韻を踏んでいる。曲を聴いているだけだと、「ボーッとして」を2回繰り返しているように聞こえるくらいリズミカルです。
ここに人間のリアルを感じます。
後述にも同じような例を示しますが、何かに「没頭して」いる瞬間って「ボーッとして」いる瞬間でもあって、「ボーッとして」いる瞬間って何かに「没頭して」いる瞬間でもある。
例えば空を流れる雲を目で追いかける。これは雲を目で追うことに没頭している瞬間でもあり、ボーッとしている瞬間でもある。
こういったリアルな、生活に根ざした、ボーッとしているときと没頭しているときの瞬間的でリズミカルな反復がこの歌詞に反映されている。
これらの2語は、意味を反転させながら、韻を踏みながら、繰り返されている。そのことは人間のリアルと直結しています。
加えて
周りからは「あいついつも1人ボーッとしてよくわからないよな」認定を受けて疎外されてしまっているが、そのことを肯定してくれるような温かみがある。
「ボーッとして」と「没頭して」は真逆のような意味を持っているけど、実際にはそれらの意味合いは表裏一体といえるのではないか。
周りからしたら「ボーッとして」いるように見えても、実は本人は何かの思索に「没頭して」いる可能性がある。
周りの空気に合わせられない自分。そのことに悩む必要はなく、身勝手に生きていい。そんなメッセージとして受け取りました。
他にも気に入っているフレーズがいくつかあって。
「明くる日も来る日も道草食って帰るが贅沢」
1番Aメロの最後の歌詞です。
「明くる日も来る日も」意味の似た語を重ねつつ韻を踏んでいてリズミカルな歌詞。続いて「道草食って帰るが贅沢」という生活があまり充実していないようなリアルな描写。学校や会社、自宅でも精神的経済的に豊かな生活ではなく、帰り道にどっかに寄るくらいしか楽しみがない。
周囲に馴染めなくて孤独な主人公像みたいなものをここにも感じます。
「ステンバイミー 自然体に シャイな空騒ぎ」
「ボーッとして」の部分と同様に、韻を踏みながら、1語1語意味が反転していて、人の相反する感情の反復をリズミカルに描写しているような気がします。
ステンバイミーって、誰かが隣にいることを望んでるんですかね。孤独であることを自身に肯定しつつも、誰かとは繋がりたいような気持ち。
でも自然体にっていうと、それは孤独な自分であって周りに迎合した自分ではないはず。
「繋がり」と「孤独」の反復。
周りから浮いていてシャイな自分、それ故に気持ちは盛り上がってないけど、周りに合わせて騒ぐ自分。
この感情の反復と、反復の速度感・リズム感がリアルです。
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クラスメイトに誘われた。1通のメッセージ。「○○くん、一緒に□□に行かない?」
1人で遊ぶ方が気が楽だから気が乗らない。でも行ったら仲良くなれるかもしれない。楽しいかもしれない。その子とのトーク画面を長々と見つめ、返信のメッセージを書く度に消すを繰り返す。
行こうかな、やっぱやめようかな。その反復。
ただ時間だけが過ぎていく。
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そんな情景が浮かびます(もはや歌詞の内容とはだいぶ違いますが)。
韻を踏んだリズミカルな歌詞であり、かつそこには人の相反する感情の反復のリアルさが描かれています。私はそういった部分がずとまよの魅力の1つなのかなと思っています。
まとめ
ぶっちゃけずとまよの歌詞はそんな深い意味はないのかなと思っています(物議を醸すひとこと)。嘘です。自分の読解力がどっかいってしまったからです。
言い方が悪かった。単語の意味よりも音として気持ちの良い単語を選んでいる印象があります。
だから、聞き流して音として楽しむ、という鑑賞ができます。
曲の感想とかを問われると、「歌詞のメッセージはこうこうこうで~」「このMVにはこういう意図があって~」といった言語化が求められる時代だからこそ、音として楽しむ体験は貴重なんじゃないかなと。
以下にその他のオススメ曲を連ねます。
音として聴くオススメ曲
・『綺羅キラー』
ホロライブEN所属の森カリオペさんがfeaturingされている曲です。
ホロのオタクではないので贔屓目はないです(ないです)。
「最低なコンプだし 最高の昆布だし」には本記事で触れた、意味の反転と韻が効いていてめちゃくちゃいい歌詞です。
・『残機』
TVアニメ『チェンソーマン』のED曲のうちの1つです。
チェンソーマンの原作は最新話まで追っていますが、ジャンプ作品は基本的に好んで読まないし見ないので贔屓目はないです(ないです)。
この曲は何度聞いてもなんて言ってるかわからない部分が多いです。意図的に空耳を誘導しているんじゃないかと思うほどです(真意はわかりませんが、狙ってる部分もあると思っています)。
それでも耳に残るのがすごいところの1つでもあります。
今回の記事は以上になります。いかがだったでしょうか。
私自身1人のアーティストの楽曲について考えを深めるのはあまりない運動だったので、ぎこちなさはあったものの、なかなかよい考察ができたのではないかと思います。
今回は少し前に更新したいな~とツイート(X's)したときに考えていた内容とは全くの別の内容の記事になったので、当初考えていた内容についても近々更新できたらいいですね(ひとごとのような口ぶり)。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。