こんにちは、かいんです。
ブログモチベが高いので、連日のブログ投稿になりそうです。
実は大学院試験が間近に迫っていて、こんなことをしている場合ではないのですが、勉強のやる気も出ないのでとりあえず頭と指の運動がてら書きます。
前置き
今回のテーマは「倍速視聴」です。映画やアニメを倍速で視聴する風潮が出来ているらしい。なんでも周りと話を合わせるためにとりあえず内容を把握する目的で倍速にして見るという。
ぼくが最初にこの話を聞いたときは「正気か!?」と思いましたが、今ではまぁそんな選択肢もあるのかなという考えです。
ただ、今回の本題は倍速視聴がいいか悪いか、なんて擦られ切った話ではありません。誰もがこの話はしているし、ぼくよりも多くのことを根拠立てて、多くのことを考えてこの話をしている人は大勢いるわけですから。
今回ぼくが本題とするのは、倍速視聴という概念を提示されたことで、ぼくらアニメオタクは新たな視点を獲得、またはその視点を再認識できるのではないかという話です。そしてさらにこの考え方を一般化できれば、より広い視野でアニメに限らず作品を見ることができるのではないかというところまで踏み込んでみたい。
それでは本題に入ります。
倍速視聴で失われること
倍速視聴はなぜ物議を醸しているのか。なにが失われるのか。倍速視聴については多くの人たちが議論を交わし合っていて、そのメリットとデメリットは議題に挙がります。書籍なんかも出版されています。
ほんとうはそういった文献を参照して、どういったものがメリットとデメリットとして挙げられているかを書きたいところなのですが、めんどうなのでその辺のブログから引用します。
YouTubeを倍速で視聴することで、動画全体の雰囲気が掴めないという意見もあります。
音楽のライブ映像や動物のドキュメンタリー映像などは、周りの景色や音と共に楽しむジャンルであるため、そのような動画ではワクワク感を感じられなくなってしまうかもしれません。
また、ホラー映画やサスペンスドラマなども間の取り方やタイミングが重要になるため、倍速機能を使うには適していないこともあります。
YouTube倍速視聴の設定方法やメリットデメリットを紹介|株式会社メディアエクシード|デジタルマーケティング
より引用
「ホラー映画やサスペンスドラマでは間の取り方やタイミングが重要」というところはアニメ視聴にも当てはまることだと思います。
つまり、アニメの倍速視聴においては、「間」や「タイミング」が失われてしまうということになります。
そのほかにもギャグアニメであればボケとツッコミの掛け合いのテンポ感だったり、日常系であれば間延びしたシュールな雰囲気やヒーリング系であればゆっくりほのぼのとした時間の流れ方だったりも失われてしまうのではないでしょうか。
そういった意味で、アニメの倍速視聴について多くのお気持ちが表明されているのかもしれません。
倍速視聴の風潮からなにを学べるか
先ほど倍速視聴によって失われるものを検討しました。整理すると
・間
・タイミング
・テンポ感
・時間の流れ方
が失われるということでした。
さて、これを受けてオタクはどうすべきかということなんです。
「制作側は間やタイミング、テンポ感や時間の流れ方を計算してつくっているんだ!だから彼彼女らにリスペクトを示すためにも等倍で最初から最後まで見なきゃダメだ!」
と、倍速視聴をする人に主張し、強制しますか?
それとも、批判するだけして
「君らと違って俺私はリスペクトを示すためにも等倍で最初から最後まで見る!」
と意固地になってその姿勢を貫きますか?
かつては後者でいいと思っていました。別にどちらも悪くはないはずです。
ただ、それでは何も進展がないなと。
どうせならこれをより良い方向に持って行けないかと、考えました。
逆に考えましょう。倍速視聴しちゃってもいいさと。
どういうことか。別に実際に倍速視聴を強要するわけではなく、単なる思考実験の一種です。
仮に倍速視聴したらどうなるのかと。具体的に想像しましょう。
BGMとともに、風景を写すカットがあっという間に流れ、主人公が映される。主人公の紹介カットもあっという間に終わり、舞台が設定される。そしてOP。当然早口。OPが終わり、主人公とそのほかのキャラとの掛け合いが行われるetc...
そう考えるうちに気づくはずです。先ほど指摘したところに考えが至るのではないでしょうか。
「展開が早いな。」
「おっとりしたキャラなのに早口なのが違和感。」
「ヒーリング系なのにテンポが早くて気が休まらない。」
などいろいろと文句や問題点が浮かんでくるのではないでしょうか。
まさにこの点が重要なんです。
こういったことを考えることによって、
実際にアニメを見るときの観察眼が養えるのではないだろうか
ということです。
たとえば
「主人公が敵に追われている場面は、BGMのテンポが速く、カットが次々と切り替わって緊迫感を煽るような演出になっていてよかったな。」
とか
「母親が今にも亡くなりそうで、娘に必死にメッセージを残そうと手紙を書いてるシーンは、テンポを遅くあえて時間の流れを遅くすることで、視聴者にこの先の展開を予想させて感動を誘うようなつくりになっていたのがよかったな。」
のように、倍速視聴で失われた要素にまで視野が広がるのではないか。
このように、倍速再生をする、またはその思考実験を経ることで、等倍再生をしていたときには至らなかった視点が新たに得られる(または再認識できる)可能性を提示したい。
観察眼をさらに磨くには
さて、以上では倍速再生をする、または思考実験することで新たな視点が見つかるのではないか、ということについて話をしてきましたが、この話を一般化することで、より広い視野で作品を観察できる、より深いレベルの洞察を得ることができる可能性について検討したい。
倍速再生についての話を振り返りましょう。普段等倍で見ているものを、「仮に倍速で見たら、なにが失われるのか?」という方向で話を進めてきました。この構造を抽象化すると、
「極限化→損失の検討」
です。あまり上手く抽象化できませんでしたが...
要は、あえてなんらかのパラメータに極振りしたときに、失われたものを考えることでそれが必要なものであったと再認識できるのではないかということです。
たとえば、今回は視聴速度を倍速にしたわけですが、このルールに基づくならば、もっと速くしていい。2倍どころか3倍、4倍...と。そこでは何が失われているでしょうか。
もはや1カットの中に描かれている細かい要素なんかには目を向けることはできないでしょう。また、セリフも速すぎて聞き取れない。
そこからどんな視点を学べるのか。
「1カットの細部の書き込み」「セリフの可聴性」でしょうか。そのほかにもあると思います。
また、映像をなくしてみてはいかがでしょうか。
BGMと効果音、セリフだけで話を想像することになります。難しいと思います。小説とは違って、映像に説明を任せている部分がかなり大きいはずです。風景や建築様式の描写があれば、ある程度場所や時代背景を推測することもできる。そこからどんな視点を学べるのか。
「映像による舞台設定の説明」でしょうか。
映像があることでこんなにも舞台の背景がわかりやすくなっていたんだな...と実感するはずです。
他にも音をなくして映像だけで見たり、逆に1/2倍速で再生して見たり、めちゃくちゃ小さいウィンドウで見たり。いろんな試みが考えられます。
なにかについて極限化したとき、どうなるのか...自分でいろいろと考えていくと、作品をより多角的な視点で観察、視聴できるようになっていくと思います。
まとめ
今回の記事はこれで以上となります。
今回の記事では倍速視聴で失われるものはなにか、そこから学べることはあるのか、一般化して作品を多角的な視点で視聴するための方法論について述べてきました。
これは別にぼくが実践していることではなく、ただのアイデアです。
こういう考え方をした方がおもしろいな~と思ったことを書いただけです。
参考にしていただければ幸いですし、なにを言ってるんだこいつはと思ったならばスルーでどうぞ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。