僕らは蠟梅学園中等部1年3組-『明日ちゃんのセーラー服』

『明日ちゃんのセーラー服』、終わりましたね

 

非常によかったと思います

6話時点では60から79点くらいの感覚だと、言いました(たぶん)

その評価は変わらずなのですが

確実に2022冬のクールを盛り上げてくれた作品のうちの1つなのではないかと思います

毎週楽しみにしていましたし、Twitterでの感想やブログの感想でも取り扱うことが多かったです

いろいろと面白いなと思わせてくれる要素がありました

 

 

さて、今回なのですが、タイトルの通りです

なにが言いたいかというと、見てる僕らが明日ちゃんたちのクラスメイトだということです

 

 

......。

 

 

みなさんがブラバしないうちに続きを書いていきます

 

このアニメでは、明日ちゃんが常に全力で学校生活を過ごし、クラスメイトの輪をつないでいますよね

 

これは彼女の魅力で、僕らを魅了する要素の1つなのだと思いますが

 

"ちょっと、めんどくさいな"って、思うこともあるのではないでしょうか

 

 

どんなクラスにも1人はいるでしょう、行事に全力で、いろんな人に話しかける

 

一方でそうじゃない人もいるはずで、行事に消極的他者との関わりをあまり好まない人もいると思います

(自分もこちら側です)

 

 

自分は思っちゃうんですね

もし明日小路と同じクラスだったら、かましい!って

 

でも、このアニメ

そういった人がまるで存在してないんですよね

 

みんなが明日ちゃんの味方というか、というか

明日ちゃんが行事に全力ならみんな全力で、明日ちゃんが友だちになるならみんな友だちになる、みたいな

 

なんか、自分としては不自然さを感じてしまうんですね

 

普通に、「やさしい世界だね」で終わらせてもいいんですけど

敢えてここに着目して、この作品からの何らかのメッセージを抽出できないかと思いまして

 

 

そこで考えたのが、そのいわば"明日ちゃんの敵"が僕らだと捉えてみよう、ということです

 

「クラスの活動に消極的で、人とあまり関わらない自分」をこのクラスに投影してみましょう

 

このとき、明日ちゃんは自分の目にどう映って、自分にどういった働きかけをするのか

ということを考えてみます

 

入学した当初は

「こいつ、なんか目立ってんな」とか「調子乗ってるな」とか

感じること、あると思うんですよね

 

ところが、僕らが12話を通して見たように、しばらく彼女を見ていると

 

「全力な人って、こんなに輝いて見えるんだ!」

 

とか

 

「こんな自分にも、個性を見出してくれるんだ!」

 

と思わされることがあるのではないでしょうか

 

 

アニメ『明日ちゃんのセーラー服』では各話ごとに明日ちゃんが各キャラにスポットライトを当てていくように進行していきました

この流れの中に、アニメを見ているあなたにスポットの当たる回があって、そこで自分を見つけ出してくれるわけです

少し前向きになれるような気がしませんか?

 

そして終盤は体育祭が数話に渡って行われました

応援にも競技にも全力な彼女に、消極的だったあんたも、自分も全力で!と思わされることがあったのではないでしょうか

あらゆることに通ずると思うのですが、全力であることそれ自体に価値は生まれると思うんですよね

彼女はそれを体現していたかのように思います

 

 

このように、自分を明日ちゃんのクラスメイトとして投影すると

「全力であることの価値」

「自分の中に眠る個性」

を教えてくれる

 

『明日ちゃんのセーラー服』は、そんなメッセージを含んだアニメに見えてくるんじゃないかなと思います

 

 

 

今回の記事は、自分の受け取り方に強く依存するような記事になってしまいましたが

 

こういう受け取り方もあるんだな、アリなんだな

 

そう思ってくだされば、書いた意味もあったかと思います

 

 

以上となります、今クールまとめの記事も書ければいいな