君には君のセーラー服-『明日ちゃんのセーラー服』~8話

『明日ちゃんのセーラー服』、面白いですね

序盤は1つ1つのカットにこだわりを感じて、そこに面白さを見出していたのですが、途中からキャラ性に注目してました

 

本編は現在8話まで公開されており、終盤にさしかかろうとしています

ここで考えたいのが、

 

「結局、"明日ちゃんのセーラー服"ってどういうことなんだろう」ってことです

 

"明日ちゃんの"であれば明日ちゃんをひたすら掘り下げる話になっていくはずなんですが、実際には明日ちゃんを中心にいろんなキャラクターを掘り下げていくという展開になっています

この一連の流れで、結果的に明日ちゃんというキャラクターを掘り下げることにはなっているのですが、基本的に各話の中心は明日ちゃんとは別の、特定のキャラクターです

 

だとすればこのセーラー服というのは、単に明日小路を象徴する記号としてだけでなく、

 

どのキャラクターもそれぞれの"セーラー服"を着ている

 

という意味合いを含むものなのではないでしょうか

 

 

 

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いや、あの

 

簡単に言ってしまえば

 

それぞれ個性があるよね

 

というだけなんですが

 

精密に言うと

 

表出しないだけで、みんなそれぞれ内面に多様な個性を抱えている

 

ことの象徴なのではないかと、思うわけです

 

ブレザーの中に1人だけセーラー服って、確かにパッと見で目立つし、明日ちゃんは特にハイスペックで主人公なだけあって、周りとの区別という意味で、わかりやすく強烈な"セーラー服"という記号付けがなされているのですが

 

それを見せたい作品ではないよなぁと

 

見せたいのはいろんなキャラクターの内面性であって、

 

みんなブレザーで同じように見えるけど、実際は全然違います

 

 

成績優秀な谷川さんもいれば

真面目でリーダー的存在の龍守さんもいるし、

ムードメーカーの兎原さんだっている

 

画一的な制服というのは、通常、没個性の意味合いが強いと思うのですが、

この作品では、明日ちゃんという1人の人物を異なる制服によって記号づけることで、

本来没個性になりうる画一的な制服(ブレザー)を身につけたキャラクターの個性を対比的に浮かび上がらせているように思います

 

明日ちゃんという1人強烈に記号付けられた主人公が、その他のキャラクターの内面をより際立たせているということです

 

 

表に見える強烈な個性を持った明日ちゃんの"セーラー服"はしばしば憧れの対象になるけど、

 

それぞれ自分の"セーラー服"を着てるんだからいいじゃん

どの"セーラー服"だって魅力的だよね

 

という主張を含んだ作品になっているのではないでしょうか

 

 

8話で顕著だったのは水上りりが、セーラー服とブレザーを交換してくれ、といった趣旨の発言をすることがありました

 

前述の通り、明日ちゃんのセーラー服には明日ちゃんの個性を象徴する意味合いがあります

それを交換する、ということはその個性(カリスマ性)を剥ぎ取る行為と同義なわけです

(水上さん本人にその意図があったかは不明ですが)

明日ちゃんとの水泳対決で勝利することで、明日ちゃんのカリスマ性みたいなものが剥ぎ取られます

実際、木崎さんや龍守さんに泳ぎが得意だともてはやされる明日ちゃんが負けてしまえば、明日ちゃんではなく「水上さん、泳ぐの速いね」と言うように変化していくことも考えられます

 

 

しかし対戦ののち、制服の交換をすることはなく、自分の"セーラー服"に落ち着いたんじゃないかなと

水上りりは水泳に対して誠実であり、ライバルと本気で戦えることに喜びを感じられる人間で、それは彼女だけの"セーラー服"です

(そしてテストの成績は悪い)

 

また、Cパートで妹の花緒が明日ちゃんの冬服を着るシーンがありました

お姉ちゃんみたいにかっこよくなれない、というセリフにもあったとおり、やはり彼女のセーラー服には彼女の個性に由来するカリスマ性や憧れの対象といった記号が付与されていることがわかります

しかし、それに対し小路が「今は...」とリボンだけ花緒につけます

今の花緒には今の花緒が身につけているべき"セーラー服"があったというわけです

 

 

今回は以上です

いつもより文章の詰めが甘いので、各人で補完してください